土曜日が好き

土曜日が好きなので

おれの汚い部屋について

25年生きてきて常に住んでいる部屋が散らかっているのは、片付けられない性格というのもあると思うけどまあ僕の人生こんなもんかと散らかってる部屋を見ながら妙に納得というか、これまでの荒んだ吉田の人生を見ているような、言い換えるとこの部屋が吉田の人生を体現していて、それが故にああ1人じゃない感あるなと安心できるわけ。つまりそん時起きた辛いことたちに対してこの部屋の散らかり様こそが唯一の精神安定剤だったりもしているから、いつのまにか汚い部屋が落ち着くようになったのだろうな、という僕の推察は多分結構間違っていて、でもここからが大切なところなのでよく聞いてほしいのだけど、つまり僕が言いたいのは本当の原因の比率が片付けられない性格が96% 汚い部屋が吉田の精神安定剤になっていたが4%だったとしても、この4%の切実さと豊かさをお前らホンマに理解すべきやねんということだ。そしたらマジで音楽とか映画とか小説とかあげていったらキリがないけどとにかく生きている人間の切実な感情から生み出された全ての作品の中にある何か(これは本当に感性によって姿形を変えるからマジで「何か」としか言いようがないんやが)に心の底からタッチできるようになるのになーと上から目線なのか底から目線なのか分からないけど思うわけ。いつだって切実なものは4%くらいで、その4%くらいの何かはそのほか大半を占める性格とか環境とかそういう分かりやすいものに隠れてて見えづらいんだけど、だけどだからこそおれたちの見えづらい心の中の4%の何かと、画面の向こうイヤホンの向こう文字列の向こうにいる彼らのどうにもならない感情の中にある切実な何かが混ざり合った瞬間におれたちはその何かが何なのかほんのちょっと分かるんじゃないか。そんな風に思う。というか、水は海に向かって流れる3巻を読んで思った。