土曜日が好き

土曜日が好きなので

君の名前を呼ぶ

 

 

ねえサンドラッグ。君がブックオフだった頃のこと、今でも僕は君の近くを歩くたび、思い出すんだよ。

 

2022年1月中旬。疫病が流行してから2年の月日が経とうとしていた頃に、君が間も無く閉店するという旨の貼り紙が貼られる。そして、貼り紙の言った通り、君はちょうど1年前、読み終わった本がゆっくり畳まれていくような静けさでその歴史を綴じ、次の日には改装工事に入っていった。

 

1ヶ月で工事は終わり、すっかり様変わりした君が、冬眠から目醒めて土の中から這い出てくる動物みたいに、シャッターをこじ開けて、現れる。

 

ドラッグストアとしての君の新しい歴史が始まる。その瞬間を、僕はどんな気持ちで眺めていたのだろう。どうにも思い出せないのだけれど、近いうち薬局になった君の様子でも見に行ってやろうかなと思いながらも、僕は随分長い間、それができなかった。

 

そして、冬の寒さがほんの少し和らいで春先になろうかという頃、僕は君のもとを訪ねる。

君だった場所の中をしばらく歩いてみる、なにを買うでもなく。なにかを確かめるように、なにかを噛み締めるように、薬局になった君の中をただただ、歩く。

かつて文庫本があった棚には化粧品が並び、絵本が売られていたあたりには風邪薬が置かれ、漫画の全巻セットコーナーだったスペースには無人レジが三台並んでいた。蛍光灯の光は以前よりもずっと明るく、風邪薬の箱に書かれた細かい字なんかを見るには快適だけど、もし漫画を立ち読みするならきっとすぐ目が疲れてしまうだろうなと思った。

そんなことを考えたときだったと思う、僕はそのとき、おそらく僕自身にとってのある一つの相当重要だった季節が遂に終わってしまったんだなという強烈な確信からくる虚無感と、尊い別れがもたらす甘さと苦味が混じった寂寥に胸が張り裂けてしまうような思いがして、気がつけば君のもとを去っていたんだ。

帰り道、変わってしまった君の姿を思い出して気を重くしていると、一方で、ある事実にも気がつく。名前や外観がまるっきり変わったとしても、1階から2階へ繋がる小さなアーチを描いた階段は当然そのままであるということ。階段を登ったとき、確かに僕はかつての君の面影を感じていた。目を閉じて階段を登るのは危ないけれど、目を閉じて階段を登ればあのCD売り場に繋がっている気がする。あの階段を登ったり降りたりすることで、僕は記憶の中で君にまた迷い込むことができるような気がした。

そして、君がそこにいたことを忘れないように、君のおかげで僕が出会えた音楽や本、映画をもう一度、振り返ってみたいなとも思った。

そうして、僕が何気なく楽しんでいた娯楽の一つひとつに、"君がくれた"というバイアスをかけていく。それがカルチャーを楽しむ上で良いことなのか悪いことなのかは分からない。

 

「君だった場所」の中に僕の記憶が宿るように、「君がくれたカルチャー」の中に感じた新しい感情や信念のようなものが僕の人生にも宿りますように。いつかその感動が"君がくれていた"ことだということすら忘れていくとしても、その感動を人生で再生できることが、君を思い出すことと無意識でイコールになりますように。そんなことを今日も静かに祈ることで、出会いと別れがワンセットで美しいものであるということを証明することはできないだろうか。

 

社会人になりたての当時の僕にとって、カルチャーは、不安定な自分の心を守ってくれるほとんど唯一の存在であると言ってもいいもので、そんなカルチャーを安価で手に入れられる君はまさしく心の安息所だったんだ。いつも僕を外からも内からも守ってくれて、本当にどうもありがとう。今までお疲れ様。

そしてこれからもよろしく。

 

 

追伸

 

そう言えばちょうど今日の帰り道に、サンドラッグに寄って、君がやたら推していた村田沙耶香の「コンビニ人間」を手に取った棚でマツキヨの不織布マスクを買って帰ったんだった。懐かしいな。

 

むかし読み終えた本をもう一度ゆっくりと開くような静けさで、君の名前を呼んでみる。ねえブックオフ江坂駅前店。聴こえているかい。

 

f:id:doyoubisuko:20230206011258j:image