土曜日が好き

土曜日が好きなので

マーズ通信④

 

遥か遠い昔から 意味のある

偶然を伝えているんだ 

体の中から 響くのは

 

 

12:30 PM

 

「もしもし、こちら火星です」

 

「こんばんは」

 

「なんかさ」

 

「どうぞ」

 

「地球にいたときにね、電車に乗ってて、窓から見える夕焼けが綺麗すぎてさ。火星に行くってなったときに、あの夕焼けが見れなくなることだけが唯一の心残りだなーって思ったんだよ」

 

「まあ、そうかもしれないよね」

 

「そう。でもまあ、火星の夕焼けは火星の夕焼けで、きっと別の美しさがあるだろうって思って、楽しみにはしてたんだよ。そしたらね、初めてこっちで、夕焼け空を見た瞬間にさ、『そんなことある?!』ってびっくりしちゃって」

 

「びっくり?」

 

「うん。なんでびっくりしたかって言うと、夕方なのにだよ、空がさ、どんどん青く染まっていくの。『そう来たか!』とか思って、予想の斜め上を行きすぎて、最初は笑えたんだけど、気付いたらなぜか泣いちゃってて」

 

「うん」

 

「なんで涙が出たのか、よく分からないんだけど、なにか壮大で暖かいものが自分の心を包みこむような感覚だけがそこにあったというか。理屈とか、意味とかを飛び越えたところでの、心の条件反射として、この涙は現れたわけで、それはなんとなく、正しいなって思ったんだよね」

 

「なるほど。分かるような分からないような」

 

「もっと分からなくしていきますね。だからこの感動というのは、どこからやって来たものなのか私は解明できていないわけね。でも、人生にはこういう、人間の想像力や理解力なんかでは到達できないような、解明不能の感動が絶対に存在してるんだよ。で、それは誰にでも起こり得るって信じたくて、そのことを証明するためには、この感動がどんな成分でできているのかを知りたいなって思ったんだよ。どうしても」

 

「青い夕焼けを見たときに覚えた謎の感動について、なんとか理解したいんだね」

 

「そう。でもね、こういう感動って地球でも色々な場所で、色々なパターンで起こるよなっていうことも同時に思ったわけ。めちゃくちゃ個人的な体験だけど、こういう感動の仕方自体は普遍的だなあって感じたんだよ。それは分かる?」

 

「分かるような気がする」

 

「それが私にとっては青い夕焼けだったって話で、私にとっての青い夕焼けは、みんなにとっては別の何かの形で、きっと現れるんだよ、いつかね。ていうか、そうであってくれ!現れろ!って強く信じるという行為が、私が生きるうえでも欠かせない行為になってきてるのね。どういうメカニズムかは分からないけど」

 

「ちょっと分からなくなってきた。でも、普通にぼんやり生きてるだけだと、なかなかそんな大きな感動には出会えないよ」

 

「そう、普通は出会えないんだよ。火星に移住とかしない限りは。でもね、『絶対出会えるはずなんだよ』って私が信じたことで、それが誰かの人生の何かの歯車を、今まさに動かしている力になってるはずなんだって、信じていたいんだよ」

 

「うーん。いつもより今日は難解だぞ…。まず、なんで君が、みんなが感動することまで信じたいと思えるの?」

 

「だって、そうじゃなきゃ、私はこの世界を美しいと思えない気がするから。美しい世界っていうのはさ、絶望のない世界っていうんじゃなくてね。絶望や孤独の後に、それにふさわしい対価としての希望や安らぎが、誰しもに訪れる可能性のある世界っていうことなの、私の中ではね。そうじゃなきゃいくらなんでも辛すぎるでしょ?」

 

「うん」

 

「私が嬉しい気持ちになっているその瞬間、別のどこかで、絶対に悲しんでいる誰かがいるわけ。確実にいるわけ。で、その人には喜びがもしかしたら回ってこない可能性があるの。そのせいで、私は私の喜びを全力で喜びたいのに、私が喜んだ瞬間に、どこかで悲しんでいるその人のことがドーンと頭に浮かんでしまうわけ。会ったことすらないのに。で、気づけば私の喜びはすっかり消えてるわけ。でもね、私は私以外の誰かの悲しみに気づける瞬間を、心のどこかで待ち望んでもいるわけ。喜びが消えちゃうのにだよ。つまりこれは本当に困ったことなのよ。分かる?だから地球みたいな、人だらけの場所でなんて生きていけないのよ私は」

 

「それは大変ですね」

 

「大変なんですよ」

 

「でも分かってきた。顔も名前も知らない誰かの不安や苦しさを、それでも想像し続けたいし、きっとその行為には何かの意味があるんだって、僕もときどき考えてるから理解できる。僕は普段、なんの苦労もせず暮らしているっていう後ろめたさから、義務みたいな形でそう思っているけど、君は、誰かのことを想像するっていうこと自体を生きる理由の一つにしてしまうことで、今まさに傷ついている人がいることを忘れないようにしたいんだろうね。その人が世界のどこかで存在しているということを忘れてしまった瞬間に、君の願う美しい世界が、その逆のものとして、残酷な現実として、現れてしまう気がするんだろう。それが怖いんだと思う」

 

「たぶんそうなんだと思う」

 

「だから、全ての苦しんでいる人々に、君にとっての青い夕焼けのような、なにもかも包み込んでくれる、理屈では理解できないほどの巨大な感動が、どうか訪れてほしいと思ったわけだ」

 

「うーん、たぶんそんな感じなのかなあ。私が分からなくなってきちゃったわ」

 

「いろんな映画とか観るとさ、映画の登場人物と同じ人物は実在しないけど、でも似たような境遇で、家族構成で、同じような苦しさを抱えている人って、世界のどこかには確実に存在してるんだよなって思うじゃない?フィクションを体験する意味っていうのは、そういうような気付きをきっかけとして、作り込まれた虚構の奥底にある、人間とか人生とかの本質を見出すことなんだと思うんだよ」

 

「うん」

 

「って考えたら、君の想像力がフィクションの作品を超えて、名前も顔も知らないけど確実に実在する人たちのところへ、イメージの力で会いに行く、そして、自分の心のフィルターを通して、その人の心や人間の心の本質を理解しようとする、苦しさを伴うかもしれないけれど。でもその経験を重ねるほど君は、誰かの心に寄り添い、共鳴し、その人が予測できない程の大きな感動を与え得る存在になれるかもれないということ。つまり、君自身が誰かにとっての青い夕焼けみたいな存在になれるかもしれないってことだよ。これは途轍もない才能ですよ、僕はえらく感動しましたよ」

 

「ありがとう」

 

「何が言いたいかというとね。君がもし地球に戻れる日がやってくるとする。そしたら君はまた色々な人と出会って生きていくでしょう。その中で、きっと君の想像力や優しさに救われる人はたくさん居るはずなんだよ。これだけは想像なんか膨らませなくても、確実にそう言える」

 

「さっきから嬉しいことばっかり言ってくれるじゃないか、照れるじゃないか」

 

「だから、また寂しくなったらいつでも還っておいでよってこと」

 

「オーケー、多分還らないと思うけど、考えとくわ、センキュー」

 

「考えといて。じゃあ、今日はこんなところで寝ましょうか」

 

「グッナイ」

 

「グッナイ」

 

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12:37 PM

 

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