土曜日が好き

土曜日が好きなので

③グヘヘ男子とフヘヘ男子特集(グヘヘ編)

ーみなさん、こんばんは。早いもので特集コーナーも3回目!今回の特集はこちら、


現代の凝り固まった有害な男性性に物申す?!と見せかけて実は思考停止してるのは俺の方?
正義とは?悪とは?そもそも善悪の問題なのか!?揺れ続ける価値観の天秤を止めろ!あなたはどちら、グヘヘ男子とフヘヘ男子特集!!
今夜はグヘヘ編!!!


ーいよいよ、はじまりましたね。グヘヘ男子とフヘヘ男子、興味深い内容になりそうですが、ここで本日のゲストの方を紹介しましょう。吉田さんです。ようこそ〜。


吉田:はじめまして。今日はよろしくお願いします。


ーよろしくお願いします。さて、本日のゲスト吉田さんについて簡単なプロフィールを紹介させていただきます。吉田さんは新潟県のお生まれで、大学進学をきっかけに大阪に引っ越されました。大学在学中から外の世界を知りたいという気持ちが湧き上がり、退学を決心。その後は様々な国を渡り歩き、現在は故郷の新潟でコンテンポラリーダンサーとして活躍されています。


吉田:故郷を愛しています。


ーそうなんですね。では、さっそく特集に移っていきたいのですが、その前になぜダンサーである吉田さんが、グヘヘ男子とフヘヘ男子について語ろうと思ったのでしょうか。


吉田:はい。僕はダンスで世界を回っているうちに、様々な男性と出会いました。その中で、全ての男性は二種類に分けられるな、と感じたんです。


ーそれが、グヘヘとフヘヘ。


吉田:はい。


ーどういう違いなのでしょう。


吉田:恋愛における、異性に対するアプローチの仕方や、それに伴う感情の動き、思考プロセスの違いによって分けられます。簡単に言うと、あからさまに欲望を垂れ流す方がグヘヘ、欲望を隠しすぎて事を上手く進めない方がフヘヘ、といった感じです。


ーふむ。つまり、肉食系と草食系ということでしょうか?


吉田:それは少し違います。肉食系男子や草食系男子という言葉は2006年に生まれ、08〜09年にかけて流行し、一般的に使われるようになりました。ですが、それから10年が経ち時代は変わりました。フェミニズム思想の広まりやジェンダー感のアップデートが叫ばれるなかで、男性の恋愛アプローチに対する世間の見方がより厳しく、精査されるようになります。そこでは、もはや肉食や草食などという簡素な分類では、これからの時代に適応した正確な男性性の判断ができなくなったのです。


ーはあ。


吉田:要するに、肉食・草食という概念に、フェミニズム的観点を加え、厳しくアプローチを評価していくことで、欲望にまみれた男性陣が己の男性性と向き合うべく開発された分類・評価法がグヘヘとフヘヘなのです。


ーなるほど。「欲望」を1つのキーワードとしつつ、時代錯誤なジェンダー感を持つ男性に警鐘を鳴らすべく生まれた評価方法なんですね。


吉田:はい。ただ注意したいのは、そういった男性を厳しく糾弾したいのではなく、改善を促すことを目的とした分類なのだということです。有害な男性性に対して攻撃をするための言葉ではありません。


ー社会をより良くするための提案なのだと。確かに、肉食系草食系と言われても、そこから何かが始まるわけではないですもんね。


吉田:ええ。また、女性による一方的な分類ではなく、男性側が自らの行いを振り返って「あの時おれはグヘってたなぁ、いかんいかん」と反省することもできます。このように、性別問わず誰にでも開かれた概念なのです。


ーなかなか濃い内容になってきましたが、今日はグヘヘ編ということで、グヘヘ男子の方に焦点を当てて特集していただけるんですよね。ちなみに、失礼ですが吉田さんはどちら側の男子なんですか?


吉田:僕は極度のフヘヘです。過激派フヘですね。マジでね、もうムリです。


ーご自分がフヘという理由で、お辛い経験をされてきているんですね。


吉田:治らない病気のようなものですね。僕のフヘを全部受け入れてくれる女性と出会えればなと思っています。


ー最初に話していたことと矛盾しているような気もしますが、分かりました。深掘りしてしまって大変失礼しました。


吉田:いえ、こちらこそすみません。


ーでは、話をグヘヘに戻しましょう。グヘヘ男子のどういった部分が具体的に問題であると、吉田さんは考えていますか?


吉田:何もかもですね。グヘはジェントルな顔でオレ優しいアピールをしているくせに、実は自分の性欲を何よりも優先している。全ての行動が夜のグヘヘ達成のために行われている、ただの猿です。しかもそのことに殆どのグヘは無自覚なのです。ありえません。でも、結局最後はグヘが勝つんです。僕の負けです。


ーグヘヘ達成とグヘヘ未達成は勝ち負けで分けて良いものなのでしょうか。それこそ、女性を蔑視していることに繋がりそうですが。


吉田:知りませんよ。ただ僕はいつも敗北感で気を病んでいるんです。奴らに対して吐き気のする思いですが、本当に気持ち悪いのは俺の方やねんな…。


ー…ええと、質問を変えますね。吉田さんはダンサーをされていますが、今回のテーマとご自身のダンスがどのように結びついているのか、それを通して何を表現したいのか、教えてください。


吉田:怒りと憤りですね。グヘなお前らもフヘな俺自身も、みんな消えてしまえという感情は無意識に存在していると思います。それが僕の表現の根幹にあります。


ー男性が嫌いなんですね。


吉田:僕は男という生物にかなり強烈なコンプレックスを持っていまして、男性と会ったり話したりするといつも劣等を感じてしまうんです。学生時代なんかは恋愛至上主義な風潮が蔓延しているので、そういった若者コミュニティに属していると、恋愛のできない自分は存在してはいけないのかなと感じずにはいられなかった。欲求を隠さず伝えるという、自分には絶対にできない表現を容易くしているグヘ男を見ていると、軽蔑だけでなく、それと等価の憧れをいだいてしまう。グヘに対する軽蔑感情の蓋を開けると、僕自身の人間性の欠落が深い溝として現れ、これまで僕が逃げ続けてきた様々な真実を文字通り底無しに突きつけてくる。つまり、憎しみの正体はグヘではなく、不甲斐ない自分の至らなさ(フヘ)だということ。ただ、これはアンビバレントなんていう格好の良い感情ではないんです。


ーグヘを攻撃することは、自分の内面にあるフヘを攻撃するということとイコールだったということですね。どうしてこのような考えに至ったのでしょう。


吉田:男らしさというしがらみから一度離れたかった。そして、実際に距離を置いてみて、俯瞰して有害な男性性について考える時間をとってみたんです。すると、グヘを批判するために発展させていた思考が、自分の中のフヘの有害性を探し当てた。グヘはグヘで改善するところがあり、フヘはフヘの課題がある。だからこそ、グヘやフヘの性質を分析し体系化することで、誰も傷つかずに恋愛ができるのではないか。そういうヒントが見つかるのではないかと考えたのです。


ーなるほど。残念ながらここでお時間が来てしまいました。今回はグヘヘ編でしたが、いつかはフヘへについての吉田さんの見解をもっとお聞きしたいと思います。最後に何かメッセージがあれば。


吉田:そうですね。グヘヘを散々悪く言ってきましたが、グヘから学ぶべきところもあるんですよね。グヘの強さとフヘのしなやかさを両立できたら良いのかなと思います。温かさと優しさを持ちながら自分自身が恥ずかしい存在であることを恐れない。
ここで、僕がグヘとフヘについて悩んでいる時に救われた谷川俊太郎の詩を引用して、このコーナーの終わりとさせてください。今夜はありがとうございました。僕らがワイセツであることを恐れずに生きていけるように。「ワイセツについて」という詩です。

どんなエロ映画も
愛し合う夫婦ほどワイセツにはなり得ない
愛が人間のものならば
ワイセツもまた人間のものだ
ロレンスが ミラーが ロダンが 
ピカソが 歌麿が 万葉の歌人達が
ワイセツを恐れた事があったろうか
映画がワイセツなのではない
私たちがもともとワイセツなのだ
あたたかく やさしく たくましく
そしてこんなにみにくく 恥かしく
私たちはワイセツ